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西南戦争の錦絵(実 物)

西南戦争錦絵.JPG (95874 バイト)

寸  法    縦35.3×71.0cm(3枚摺)

入手方法   東京神田の自游書院より購入する。35000円。

解  説    明治10(1877)年におこった西南戦争を題材にした錦絵である。絵は熊本鎮台(熊本城)を攻めている西郷隆盛(中央)や桐野利秋らを描いている。1873年、いわゆる征韓論に破れた 西郷隆盛は政府を辞して下野し、故郷の鹿児島に戻ってしまった。その後、士族の救済をめぐって不平士族が各地で反乱(佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱など)がおこる中、鹿児島でも私学校を中心に、西郷を慕う士族が新政府に対する不満を募らせていた。戦争の前年、木戸孝允が台湾問題で下野し、廃刀令、金禄公債証書発行条例が出され、士族の不満が最高潮に達した中、12月には三重県で地租改正条例反対一揆(伊勢暴動)がおき、翌1877年2月、ついに西南戦争が勃発する。西郷自身は戦いに消極的であったと言われるが、周囲の熱意に担ぎ出されるという形になった。しかし勝負は戦う以前から明らかであった。谷干城率いる新政府軍の圧倒的な兵員に加え、近代的な武器の前に、刀・火縄銃で戦う西郷軍は無力であった。西郷軍の将・桐野利秋は「百姓に鉄砲をもたせて何の役にたつのだ」と新政府軍を批判したが、結果として旧体依然の士族中心の西郷軍にかわり近代徴兵制の新政府軍の時代にかわっていたのである。3月の田原坂での敗戦以降、9月の西郷の城山での自刃までの7ヶ月間の戦いであった。当時、戦乱の様子は都市(特に東京)の市民の関心を集め。格好の娯楽のひとつであり、メディアが錦絵を中心とする瓦版に集中していた。想像以上にリアルタイムで数多くの錦絵が制作され、江戸時代以来の絵師がわざわざ九州に取材にいくというありさまであった。絵画史・情報史からいっても、江戸時代の錦絵(浮世絵)が明治になってすたれていく中、新政府の一連の動きを錦絵という非常にわかりやすい媒体によって一般市民に情報を提供してことに最後の活路を見いだしたのである。

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