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高  札

※本文に使われている高札・文書等は参考品以外、すべて当方所有のものです。

1.中世の制札

 木札形式の高札を中世では「制札」とよぶ。現在、90点あまりが確認されており、最も古いのは文治元(1185)年のものである。形状は縦長の駒形が多く、内容の多くは戦乱中の禁止事項を記した「禁制」が多い。

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楽市楽座令制札.JPG (30832 バイト)

織田信長楽市楽座令(岐阜円徳寺蔵)複製

2.近世の高札

 近世の高札は武士から百姓、町民に周知させるために出されたものがほとんどで、町の辻や街道、村の入り口などに高札場を設けて掲げられた。天和2(1682)年、正徳元(1711)年、明和7(1770)年のものが多い。藩や代官方から文書で名主や庄屋に通達され、それぞれの責任で作られて掲げられ、古くなれば何度も作り直された。近世の高札はキリシタン禁制札、火付け(禁止)札、徒党(禁止)札、忠孝札、毒薬札、抜荷札などが常時掲げられ、街道には駄賃札、捨馬(禁止)札まども掲げられた。

 @キリシタン禁制札

       定
 きリしたん宗門は累年御禁制たり 自然不審成ものこれあらば申出べし
 御ほうびとして
  ばてれんの訴人    銀五百枚
  いるまんの訴人    銀三百枚
  立かへり者の訴人   同 断
  同宿并宗門の訴人   銀百枚
 右の通下さるべし
 たとひ同宿宗門の内たりといふとも 申出る品により銀五百枚下さるべし
 かくし置他所よりあらはるゝにおゐては 其所の名主并五人組迄 一類は可被行罪科候也
  正徳元年五月日    奉行

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A忠孝札

    定   
一 親子兄弟夫婦を始め諸親類したしく下人等に至るまで
  これをあはれむべし 主人ある輩は おのおの其奉公に
  精を出すベき事

一 家業を専にし 惰る事なく万事其分限に過るべからざる事

一 いつはりをなし 又は無理をいひ 惣して人の害になる
  べき事をすべからざる事

一 博奕の類一切に禁制之事

一 喧嘩口論をつゝしみ若其事ある時 猥に出合べからず
  手負たるもの隠し置べからざる事

一 鉄砲猥に打べからず 若違犯の者あらば申出べし 隠し置
  他所よりあらはるゝに於ては罪重かるべき事

一 盗賊悪党の類あらば申出べし 御ほうび下さるべき事

一 死罪に行はるゝものある時 馳集るべからざる事

一 人売買 かたく禁ず 但し男女の下人 或は永年季 或は
  譜代に召置事は相対に任すべき事

  附 譜代の下人 又は其所に往来る輩 他所へ罷越 妻子をも
  持有付候物呼返べからず 但し罪科ある者は制外の事

右の條々可相守之 若於相背は可被行罪料候也

  正徳元年五月 日    奉行

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B火付札

      定

一 火を付る者あらは早々申出べし 若かくし置におゐては其罪重かるべし
   たとひ同類たりといふとも申出るにおゐては其罪ゆるされ屹度御褒美下さるべき事

一 火付る者を見付け これを捕へ早々申出べし
  見のがしにすべからざる事

一 あやしき者あらば 穿鑿をとけて 早々奉行所に召連来るべき事

一 火事の節 地車だいはち車にて荷物をつみのくべからず 鑓、長刀、刀、脇差等ぬき身にすべからざる事

一 火事場其外いつれの所にても 金銀諸色拾いとらハるゝにおいてハ其罪重かるへし
  縦同類たりといふとも申出
  口輩は其罪をゆるされ御ほうひ可被下事

 右の條々可相守之 若於相
 背は可被行罪科者也
  正徳元年五月 日    奉行

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C徒党札 

    定

何事によらずよろしからざることに百姓大勢申合せ候をととうととなへ
ととうして しゐてねかひ事 くわたつるをこうそといひ
あるひは申あはせ 村方たちのき候をてうさんと申
前々より御法度に候條 右類の儀
これあらば 居むら他村にかきらず 早々そのすじの役所へ申出べし
御ほうびとして

   ととうの訴人       銀百枚
   こうその訴人      同断
   てうさんの訴人     同断

 右之通下され その品により帯刀苗字も御免あるべき間
たとへ一旦同類に成とも発言いたし候ものゝ名まへ申出るにおゐては
その科をゆるされ 御ほうび下さるべし

 一 右類訴人いたすものなく村々騒立候節村内のものを差押へ
   ととうにくわゝらせず一人もさしいたさゞる村方これあらば
   村役にても百姓にても重にとりしつめ候ものは   御ほうび銀下され帯刀苗字御免さしつゞきしつめ候ものともこれあらば
   それそれ御ほうび下しおかるべき者也

  明和七年四月(1770年)         奉 行

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D捨馬札

   覚

捨馬の儀、段々被仰出候の処、頃日も捨馬仕候者在之候、

急度御仕置可被仰付候らえば、先此度も流罪被仰付候、

向後捨馬仕候者於有之は、可被行重科者也

卯十二月 日   奉行

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E浪人札(桜田門の変以降、水戸藩浪人に対する取り締まり令)

近来浪人共 水戸殿浪人或 新撰組等と唱、所々身元宣者共
攘夷之儀を口実に無心無懸、其余公事出入等に携、
被是申威し、金子為差出候類有之候、追々増長およひ、隈に朝命等と申触し、
在々農民を党数へ引入候儀も有之哉に相聞、
今般 御上洛被 仰出候折柄、難捨置、依之以来御料私領村々申合置、
帯刀致し居候とも 浪人体 怪藪見受候分 無用捨召捕、手向致し候は、切殺候共 打殺候とも、可致旨被、
仰出候間、悪事不携もの共は早く旧主 帰趨之儀 相願、神妙に奉公可致、若悪事に携、
或者子細在之旧主難立戻分は、有体可願出候、
其始末に応じ罪を免じ、又者難儀 不相成様取計可遺候、
万石以上以下とも用向有之、家来旅行為致候は、其度々吃度道中奉行江被相違、先触可差出候。
領分知行より籠出候者共も、先触差出、
いつれも此程相触候通 調印之書付を以関所々々 可相通、万一先触不差出旅行いたし、
或者旧主並帰参も不致、被召捕候節に至り手向致切殺候は、其身者不遺候間其宣可在候、

右之通万石以上以下不洩様相触、
旦右之趣板札に認、御料私領宿村高札場或 者村役人宅前守に当分掛置候様可被相達候

亥 十二月

                                 

  

F地方札(その地方独自にだされたもの)
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3.明治維新の高札

  明治新政府は慶応4年3月15日(旧暦4月7日)太政官布告により、「五箇条の御誓文」といわゆる「五榜の掲示」を出しました。「五箇条の御誓文」は一般庶民にはほとんど通達されませんでしたが、「五榜の掲示」は従来の高札場に旧幕府時代の高札を撤去させた上で、高札という形で広く庶民に周知させました。

@五榜の掲示第1札「五倫の道」

   定
一 人タルモノ五倫ノ道ヲ正シクスヘキ事
一 鰥寡孤独癈疾ノモノヲ憫ムヘキ事
一 人ヲ殺シ家ヲ焼キ財ヲ盗ム等ノ悪業アル間敷事
 慶応四年三月

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A五榜の掲示第2札「徒党の禁止」

   定
 何事によらず、宜しからざる事に
 大勢申合候(もうしあわせそうろう)を徒党と唱へ、
 徒党して強いて願がひ事企だつるを強訴と言ひ或は申合せ居町居村を立退き候を逃散(ちょうさん)と申す。
 堅く御法度たり。
 若(もし)右類の儀これあらば早々其筋の役所へ申出べし。
 御褒美下さるべく事
  慶応四年三月  太政官

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B五榜の掲示第3札「切支丹禁止」

   定
一 切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ
若不審ナル者有之ハ其筋ノ役所ヘ可申出御褒美可被下事
 慶応四年三月  太政官

    定
一 切支丹宗門の儀は是迄御制禁のとおり通固くあいまもるべきこと可相守事
一 邪宗門の儀は固く禁止の事
 慶応四年三月  太政官

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C五榜の掲示第4札「外国人への危害禁止」

  覚
今般 王政御一新ニ付 朝廷ノ御条理ヲ追ヒ外国御交際ノ儀被 仰出諸事於 
朝廷直ニ御取扱被為成万国ノ公法ヲ以条約御履行被為在候ニ付テハ全国ノ人民 
叡旨ヲ奉戴シ心得違無之様被 仰付候自今以後猥リニ外国人ヲ殺害シ或ハ不心得ノ所業等イタシ候モノハ 
朝命ニ悖リ御国難ヲ醸成シ候而已ナラス一旦 御交際被 仰出候各国ニ対シ 
皇国ノ御威信モ不相立次第甚以不届至極ノ儀ニ付其罪ノ軽重ニ随ヒ士列ノモノト雖モ削士籍到当ノ典刑ニ被処候
条銘々奉 朝命猥ニ暴行ノ所業無之様被 仰出候事
 三月  太政官

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D五榜の掲示第5札「王政復古、本国脱走の禁止」

  覚
王政御一新ニ付テハ速ニ天下御平定万民安堵ニ至リ諸民其所ヲ得候様
御煩慮被為 在候ニ付此折柄天下浮浪ノ者有之候様ニテハ不相済自然今日ノ形勢ヲ窺ヒ
猥ニ士民トモ本国ヲ脱走イタシ候儀堅ク被差留候万一脱国ノ者有之不埓ノ所業イタシ候節ハ主宰ノ者落度タルヘク候尤此御時節ニ付無上下 
皇国ノ御為又ハ主家ノ為筋等存込建言イタシ候者ハ言路ヲ開キ公生ノ心ヲ以テ其趣旨ヲ尽サセ依願太政官代ヘモ可申出被仰出候事
但今後総テ士奉公人不及申農商奉公人ニ至ル迄相抱候節ハ出処篤ト相糺シ可申自然脱走ノ者相抱ヘ不埓出来御厄害ニ立至リ候節ハ其主人ノ落度タルヘク候事
 三月  太政官

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Eその他の維新札

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F五箇条の御誓文

一、 広く会議を興し、万機公論に決すべし
一、 上下心を一にして、さかんに経綸を行うべし
一、 官武一途庶民に至るまで各その志を遂げ、
     人心をして倦まざらしめんことを要す
一、 旧来の陋習を破り、天地の公道に基づくべし
一、 知識を世界に求め、大いに皇紀を振起すべし
 慶応4年3月14日 太政官

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太政官日誌(第5)

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〔参考品〕五箇条御誓文高札(半田市立博物館蔵)

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