BACK

金  印 (レプリカ、弥生時代)

金印.JPG (96977 バイト)

刻印「漢委奴國王」

金印3種.JPG (94706 バイト)

寸   法   上段(縦2.3×横2.3×高さ2.2cm)、下段左(縦2.3×横2.3×高さ1.9cm)、下段中(上段と同じもの)、下段左(ゴム印、縦3.0×横3.0×高さ4.0cm)

入手方法   3点とも福岡県福岡市福岡市立博物館の1階売店で購入する。ただし下段左の金印は10年以上前のものであり、現在は下段中央のものしか販売されていない。より実物に近いのは中央である。なお実物は同博物館で見ることが出来る。その他、金印をデザインしたペーパーウェイト、ネクタイピン、カフスボタン、紙袋などが同店で購入できる。なおゴム印は太宰府市太宰府展示館でも購入できる。

解   説   中国の正史「後漢書」の『東夷伝』に、建武中元2(57)年、朝貢してきた倭の奴国の使者に光武帝が金印を授けたという記事があり、その金印とされる。当時、倭国は弥生時代中期にあたり、多くの小国に分裂していた。特に北九州のクニは競って中国に使者を送り、朝貢して領土を安堵してもらっていた。その際に多くの下賜品と共に、中華思想に基づく「王」に任命されたそのしるしとして「印」を与えられたのである。金印は江戸時代の天明4(1784)年、福岡藩領内の志賀の島の百姓、甚兵衛によって田の溝の修理中に大きな石の下から発見され、藩庁に届けられた。この印は学者によって発見当時から「後漢書」にある金印ではないかとされていたが、偽作説も多く、真偽論争もさかんであった。しかし現在では字体、寸法、類似品などの研究によって、本物であると考えられている。なお印の使い方としては、文書を記した竹簡や木簡などを紐で巻き、それに粘土を置いて印で封印する「封泥」として使われた。授業ではゴム印を使って一人一人、ノートに押すことから始め、その解読から中国と倭の小国の関係などを探っていく。

inserted by FC2 system