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解 体 新 書(復刻版)
寸 法 縦25.6×横17.7cm
入手方法 東京神保町の大屋書店にて購入する。価格は80000円。
解 説 安永3(1774)に刊行された医学書。序図と4巻の5冊。初版は数が少なく、現在はほとんで残っていない。一般に出回っているのは(といっても1冊?十万円の高価なものではあるが)のちに杉田玄白の弟子・大槻玄沢が校訂増補した重版の「重訂解体新書」である。この本が出版されるまでの医学は長崎の一部のオランダ(ドイツ)人による西洋医学を除いて中国を主とした東洋医学であり、漢方薬の処方を主体とする内科的医学であった。解体新書の発行は日本の医学に外科的処方を取り入れるきっかけとなった画期的な書物なのである。この本はドイツのクルムスの書いた「解剖図譜」のオランダ語版である「ターヘルアナトミア」の翻訳本であることはよく知られ、その翻訳の苦労は杉田玄白の「蘭学事始」に詳しい。1771年に杉田玄白、前野良沢、中川淳庵の3人は江戸小塚原の刑場で死刑になった身体を「えた」の執刀によってなされた解剖(腑分)を見学し、それが前野良沢が長崎で手に入れた「ターヘルアナトミア」の挿し絵とおどろくほどそっくりであったことに驚き、3人を中心に(最終的には桂川甫周や峯春泰ら7名)この本の翻訳に着手したのである。日蘭辞書のない当時、医学専門用語の翻訳は相当苦労し、江戸に来ていたカピタン(長崎オランダ人領事)やその通訳に何度も教えを乞うた。それでも3年半後には初版を出版している。この翻訳の中心となったのは前野良沢であるが、できあがった「解体新書」には著作者として名前が記されていない。これは翻訳が不十分であったのでもっと時間をかけてやりたいと主張した良沢に対して、何よりも出版を早めて世に出したかった杉田玄白の意見が対立したためである。これによって玄白のほうが名を馳せたことはいうまでもない。ここで特筆すべきは、翻訳のきっかけとなった小塚原の腑分(解剖)が「えた」身分の人によっておこなわれたということである。「蘭学事始」には
『さて腑分のことは、えたの虎松といへるもの、ことのほか巧者のよしにて、かねて約し置きしよし。この日もその者に刀を下さすべしと定めたるに、その日、その者俄かに病気のよしにて、その祖父なりという老屠、齢九十歳なりといへる者、代わりとして出でたり。健かなる老者なりき。彼奴は、若きより腑分は度々手にかけ、数人を解きたりと語りぬ。その日より前迄の腑分といへるは、えたに任せ、彼が某所をさして肺なりと教え、これは肝なり、腎なりと切り分け示せりとなり。』
と記している。すなわち「えた」身分の人々が働いていた刑場では度々「腑分」が行われ、すでに医者以上に内臓の位置などを把握していたわけである。