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伊能中図(複製)

伊能中図全図.JPG (91816 バイト)

全体図

伊能中図部分1.JPG (94436 バイト)  伊能中図部分2.JPG (84940 バイト)

部分(武蔵江戸付近)                部分(伊勢湾付近)

寸   法   北海道T(77.3×98.8cm)、北海道U(75.6×120.5cm)、東北編(81.7×101.5cm)、関東編(67.0×119.3cm)、中部近畿編(66.1×110.6cm)、中国四国編(66.1×110.6cm)、九州T(81.8×84.7cm)、九州U(82.0×84.5cm)、

入手方法   兜雛g堂より出版、千葉県佐原市忠敬茶屋にて購入、全国(本編8編+全体図)で28476円。本図は東京国立博物館所蔵の伊能忠敬の中図8編を忠実に1/2に縮尺して複製したものである。

解   説   伊能忠敬(1745〜1818)は上総国山辺郡小関村の名主の子として生まれ、17歳で佐原の伊能家の養子となった。利根川の氾濫による冠水の調査により、測量に関心を持ったと言われ、49歳で隠居すると、江戸に出て、幕府天文方の高橋至時に師事した。55歳(1800年)の時、地球の子午線1度の距離を測ろうと決心し、地図の測量という名目で幕府の許可を得て、僅かな御用金の他はほとんど自費で測量にでかけた。奥州と東蝦夷地を測量し、子午線の長さが110.749kmという成果を得た。初めはこの測量で終わる予定であったが、この数値がオランダの天文書の数値と酷似していたため、忠敬は全国の測量調査を志した。1804年、この測量は幕府直営のものとなり、1809年には全国の一次測量を終えた。補足測量として九州を測量中に倒れ、74歳の生涯を閉じた。大きなものだけで8回の測量の旅にでかけ、その歩いた距離は約35000kmといわれている。

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