BACK

「正長の土一揆碑文」拓影(1523年、実物)

正長土一揆.JPG (84363 バイト)

碑文「正長元年ヨリサキ者カンへ四カンカウニヲ井メアルヘカラス」

正長一揆地蔵.jpg (80153 バイト) 正長一揆地蔵2.jpg (96718 バイト)

疱瘡地蔵(右下の黒ずんでいる箇所が碑文)

寸   法   縦47×横32cm

入手方法   奈良県奈良市柳生にある疱瘡地蔵に刻み込んである碑文を拓本で採る。

解   説   正長元年(1428年)に起こった「正長の土一揆」の勝利宣言的碑文である。土一揆に関する資料はほとんどが支配者側の資料であるが、農民側の数少ない資料として貴重である。この年は将軍(足利義持)や天皇(称光天皇)の死や「三日病」と呼ばれる疫病がはやり、天候不順による凶作の年であった。この年の8月に近江(滋賀県)の坂本で馬借による一揆が勃発、それをきっかけにに周辺では徳政を要求する一揆が広がった。この柳生の里でも4ケ郷(大柳生、坂原、小柳生、邑地)を支配していた領主(興福寺)が徳政を出し、その勝利宣言を村人が刻み込んだものと考えられている。地蔵はや碑文より古く元応元年(1319年)の製作で、集落から奥まったすぐ山手に入った小道添いにあるが、碑文は過去の乱雑な拓本の取り方により墨で真っ黒である。しかも石(花崗岩)が風化して、凹凸があり、意図的に墨を濃くしていかないと文字が浮かび上がらない。もともとこの碑文が明らかにされたのは大正時代で、地元の郷土史家・杉田定一さんの研究からであった。授業では実物大の印刷物を配布し、まず解読させることから始め、農民のおかれた状況やその思い、行動力を感じ取らせる。

inserted by FC2 system